「あとがき」を読む


早いもので、私が歌を詠み始めてから十年近くになります。

この歳月は、歌を遺すことに心血を注いだ日々の積み重ねでした。その間に、あらゆる努力と独力のリハビリによってその速さを最大限緩めたとはいえ、身体は少しづつ(いくつかの局面では急激に)弱り、衰えてきています。

そうした中でも私は工夫を重ねて、日常的にある程度長い文を椅子に座って書けるようになりました。この状態は一年足らずしか続きませんでしたが、その間にこの第二歌集の原稿作成などを、随分と楽に進めることができました(この第歌集も先の第一歌集も、表紙のデザインやページの組み方から、字体や細かなレイアウトまで、編集は全て自分で行いました。そのため、原稿作成には普通の本よりずっと多くの時間と手間が掛かりました)

ところが昨年(2020年)の或る日に無理をして太ももを傷めてからは、短い文を書くのも文をテープに吹き込むのも難しくなり、以前にも増して言葉や情報を発出することが厳しくなりました(お陰で、この「あとがき」をまとめるのも苦労しました)。

そんな状況がしばらく続いた頃から、私にとって非日常のことばである歌が、数カ月にわたって次々と生まれて来ました。第一章の最後に収めた長歌も、長歌というものを殆ど知らなかったこの時期に、意図せず出来たものです(なお第二章末の長歌は、この本の出版間近(2022年秋)の、或る大きな苦難に直面していた時に、ことばが不意に溢れて来て生まれました)。

これは前から感じていたことですが、歌は自分が創り出すというよりはむしろ、言語環境を含む自分の置かれた環境などが自分に作らせるのだ、ということを改めて認識させられました。

いつでも自由に言葉を使えない、いわば日常的な意味で言葉を半ば失ったことは、病が私にもたらした最大の(そして独特の)苦しみのひとつです。しかしそのような環境こそが、歌が生まれる大きな要素のひとつになっているとすれば、それは苦しみと同時に幸いでもあるのかも知れません。

病から私が得たものは、それだけではありません。

私は身体を患う前から自然に深く親しんできましたが、その対象はどちらかと言えば、深い原生林や渓谷などの山奥が中心でした(芽吹きや黄葉の頃に心に触れる風景に出逢うと、よく何十分でも飽きずに眺めていたものです)。身の周りのほんのささやかな自然にも、より深く細やかに目を向けるようになり、多くの歌が生まれたのは、病に身体の自由を奪われたその結果に他なりません。

そして何より、病気や障害が忌み嫌われ、死が日常から遠ざけられて、若くして死ぬことが不幸とされる今の世に、命と自然を見つめて日々を送れる事こそが、長い病から私への最大の贈りものです。

 

 さてこの本には、先の第一歌集「うつろひのおと」に続く四百三十首余りのやまとうた(やまとことばだけで詠んだ短歌)を収めています。その第一歌集の「あとがき」で触れているように、私の歌は万葉歌との偶然の出逢いから生まれてきたものです(今も、万葉歌以外の歌を聞くことはありません)。

この第二歌集の中の、花の歌や細やかな趣きの歌などを、万葉歌よりも古今集以降の和歌に近いと感じる人もいるかも知れません。しかし万葉歌と古今歌などとの違いは、私にとっては「ますらを」か「たをやめ」かという事ではなく、「詠み手の声が聞こえるかどうか」という点にあります。

歌とは、その中に詠み手の声が音楽として封印された「呪詞(ことば)」であり、言葉を定型的に並べた「短い詩」ではありません。その(ことば)は、ずっと昔の死者の魂にも、遠い未来の人の耳にも、遥か彼方の聞き手の心にも、そして樹々や鳥たちにも、はっきりと届く力を持っています。

この本に収めた二首の長歌は、訳や内容を目で追いかけてもあまり意味がありません。他の短歌もそうですがこの長歌は特に、声に出して言葉の響きやリズムを感じてみて下さい。

自分の歌の風合いがどのようであろうと、歌は音楽であり呪詞であるという「歌の根っこ」が、私の中で変わることはありません。またどこも目指さず、ことばが不意に紡がれる瞬間をただ待つ、という歌の生まれ方も昔のままです(やまとことばだけを用いているのも、古語を交えているのも、自然とそうなっている事であり、歌が出来る時に意識したことはありません)。

その立ち位置や世界観などもあって、自分の歌は数年前まで、ごく限られた人にしか見せたことがありませんでした。そうした中で上梓した第一歌集には、作者が驚くほど丁寧で温かい感想を、思いのほか多くの方から頂きました。

重い病の身でありながら、家族などの大きな助けによって歌を形にできることは得がたい幸いです。その歌を通じて、自然やことばを愛する方々と言葉を交わせることも、社会から隔絶された闘病者にとって、どれだけ力になっているか分かりません。

先の歌集には、自分が生きている間に掛けられるとは思っていなかった深く温かい言葉も、癌で亡くなられた方をはじめ、何人かの方から頂きました。

 

私は年余り前に左足を傷めた後、特にここ二~三年でめっきり身体が弱ってきました。その体調を考えると、あと何年歌を詠み続けられるか、何ともおぼつかないところです。

また左足の怪我以降は、リハビリで歩く近所の公園と自宅とが、私の生活空間の全てになりました。歌の題材を考えたり探したりせず、歌がおのずから生まれる時を待つだけの私が、この生活空間だけで詠める歌の数は限られています。

先のことは分かりませんが、この歌集の後に、本というまとまった形で歌を世に出すのは難しいかも知れません。ですから今の時点では、この「ときのことのは」が自分にとっての遺作だと考えています。生前の歌集でありながら、巻末に辞世の歌を収めたのはその為です。

蝸牛の長い歩みの末に原稿を仕上げつつある今、ひと言では表せない寂しさが心を覆っています。それは「うつろひのおと」の編集を始めた時の、「この身に代えても歌を遺さなければ」という思いと表裏のものです。「この本の後に出来た歌は、この世に遺せないかも知れない」という、救いようのない思いが胸をよぎりもします。

それでも、形になった歌は遺ります。それは時を経て、未来やそのまた未来の誰かに届くかも知れません。暮らしの領域が狭められても、山川はそこにあります。部屋の窓から仰ぐ山の尾も、薮のような家の小庭も、(とき)の廻りを映して、変わることなく移ろい続けています。

 

山川の歌を聞くことも、それを歌ということばにして山川に贈り返すことも、私にとっては祈りの時間であり、かけがえのない喜びです。与えられた命の限り、山川とことばを交わし、歌を口ずさんでいければと思います。

2020年1月記(2022年1月後半加筆)